沿革

埼玉県民児協の概要について掲載しています。

大正8年4月 埼玉県下の社会福祉事業に資するため埼玉県知事岡田忠彦氏の主唱により、渋沢栄一子爵をはじめ有識者の協力を仰ぎ財団法人埼玉県共済会を設立。福利委員を設置し10月に委嘱を開始。
昭和6年12月 埼玉県方面委員設置規程により、福利委員は方面委員へ改称
昭和23年 埼玉県民生委員連盟を結成
昭和26年 埼玉県民生委員連盟の解散
昭和35年9月 埼玉県民生委員・児童委員協議会の設立
昭和48年4月 財団法人埼玉県民生委員・児童委員協議会へ組織変更
平成24年4月 一般財団法人埼玉県民生委員・児童委員協議会へ移行
  • 大正6年5月、民生委員制度の前身である済世顧問制度が岡山県で創設されてから2年後の大正8年7月、埼玉県では「日本近代経済社会の父」と呼ばれ、福祉や教育などの社会事業にも取り組んだ渋沢栄一子爵の助言指導のもと福利委員制度を設置。
  • 昭和6年12月、埼玉県方面委員設置規程が告示により、同月、救護法施行細則が埼玉県令として施行され、方面委員が救護法実施の委員として定められる。
  • 昭和21年9月、民生委員令の公布、方面委員は民生委員と改称。
  • 昭和22年12月、児童福祉法の制定により、児童委員を置き、民生委員がこれにあてられる。更に昭和23年8月、民生委員法の公布施行により、民生委員令廃止。
  • 昭和23年、当時、県下3千余名の民生委員・児童委員がその活動をより効果的にするために、「埼玉県民生委員連盟」を結成。
  • 昭和26年、社会福祉事業法の制定により、公的責任態勢の確立が進められるのと並行して民間社会事業の総合的調整機関としての社会福祉協議会の結成が促進されるとともに、既存の社会福祉事業団体等の整備統合の問題が検討され、「埼玉県民生委員連盟」も時代の要請に応えて解散。以来、社会福祉法人埼玉県社会福祉協議会民生児童委員部会を活動連絡の場として、社会福祉協議会の意図する地域社会福祉の推進のために中核的な役割を果たす。
  • 昭和35年9月、複雑多岐な諸問題を直視し、制度の将来を考え、独自の性格と機能を発揮し、民生委員・児童委員の立場から民間社会福祉活動の振興に寄与するため「埼玉県民生委員・児童委員協議会」を設立。
  • 昭和48年4月、組織の充実と責任体制の確立を図り、更なる本県の民間社会福祉活動の振興に資するために、全国に先駆けて埼玉県知事から認可の許可を受け、法人格を取得し、「財団法人埼玉県民生委員・児童委員協議会」へ組織変更。
  • 平成20年12月に施行された公益法人改革関係法令に基づき、平成24年4月1日の法人登記をもって、一般財団法人に移行し、名称を「一般財団法人埼玉県民生委員・児童委員協議会」として新たなスタートを切る。